愛情のユートピア
高校生の私には、世界中で何よりも大切な大好きな人がいました。その人への愛を惜しみなく周りに発信し続け、日々愛について考え、人を好きになって悶えていました。
痛々しくて懐かしいです。
昔は今よりもっと盲目的でした。
好きな人は芸能人だったので、私は所謂オタクでした。
好きになりたての中学生だとかそれくらいの頃は、ガチ恋と呼ばれるような恋愛感情を抱いていたと思います。何年も前のことなのであまり覚えていませんが、情緒が未発達だったこともあり、アイドルといえど異性を好きになるということを「恋愛」という感情でしか処理できなかった側面もあると思っています。
少し成長した後に、「信仰」という好きでいる方法を知りました。神と崇め奉り、その人を絶対だと思うこと。恋愛感情ってやっぱり苦しいんですよね。信仰って恋愛より盲目的だから、その愛し方を知って少し楽になった気がします。
でも、信仰は結局のところ偶像崇拝に陥りがちです。その人を信仰していたはずが、いつの間にか自分の理想を信仰してしまう。その人が理想に当てはまらなくなった時、最大の武器だった愛情は自分を苦しめる毒になってしまうんですよね。
そのギャップに苦しくなることもありました。
高校生だった私は成長し、社会に出ました。
大人になったな、と思います。
今もその人のことが好きです。私の人生最初で最後の最強はその人であって欲しいと願い続けています。
でも、あの頃のような苛烈な愛情では無くなりました。もっと穏やかで、緩やかな、凪いだ海のような愛情に変化していきました。
それでも、あの頃の自分は消えません。心の奥にずっといて、たまに姿を現すことだってあります。
それでいいと思っています。正しい愛し方なんでこの世には無いのだから。
正しい愛し方なんて無い。愛情がナイフに変わることも罪ではない。感情は自由だから、人が思いを抱くことは止められません。
人が人に抱く愛情に対して、間違っていると形容してしまうことは驕りであり傲慢だと思います。善悪はありません。
ただ、私の願いは愛する人の幸福と、自分がそれを心から祈ることが出来ることです。
私のバイブルだから、そんな人が幸せじゃないのは辛いから、理由はきっとそれだけです。
自分自身の楽しさのためでなく、その人に祈るために好きでいたいと願う人は、私の短い人生の中ではまだ1人だけです。
その人が今日も幸福で、よく眠れますように。
高校生の私の情熱と感受性の墓場
Twitterの下書きに残していた文章で、気に入っているものを忘れないように載せておきます。
・よく、ユーキくんはダンスのとき人を殺しそうな目をしているけれど、その奥に確かな優しさがあると思うの。優しさというより、慈愛というより、幸福というより、強さというより、何かがあると思う。その何かは感情であって、それをボキャブラリーが凌駕することは一生ないのよね。これは誰の言葉なんだっけ。
・個人的にBeasty Spider→Seventh Heavenの流れが本当に好き。生々しい妖しさから、また別の強さを讃えた曲
・どうにかしてユーキくんに対して思っていることを言葉にしたいという感情を、私のボキャブラリーがかなえてくれる日は、多分一生来ないのだろう
・赤裸々という言葉をユーキくんに使いたい。
・ユーキくんのダンスがほんとうに好きで、でもだからこそ彼の価値をダンスだけだと決めつけるような言い方をしていないか不安で仕方がない。
・超特急が非アイドルを自負(?)しているのは知っているけれど、どうしてもニュアンス的にアイドルと言いたい時がある。それをいちいち揚げ足とられたらたまったもんじゃない。超特急は非アイドルだけれど、わたしの中のアイドルはユーキくん。
・FLTの歌詞では「魔法をください」が一番好き。魔法をかけたいじゃなくて、くださいって、魔法が欲しいって、心の奥底がぎゅっとなるフレーズ
・ユーキくんを見て思いついた言葉を調べると、「女性の〜の様子を表すことば」として使われている言葉が多いの、いつも納得してしまう。ユーキくんが女性的な男性かと聞かれたらそうでもない。でも本来は女性を表すことばを男性であるユーキくんに使うことが、凄く腑に落ちる時がある。今は婀娜っぽいで調べていた
・恵比寿の男の子たちっていうフレーズがとても好きで最近友人に超特急の話をする時それを使ってる
・武道館 Billion Beatsでネバギバのジャケットなしの黒い衣装で踊る356(?)の3人が、まるで音符みたいに繊細で優しく、20億分の鼓動を打ってるみたいで、心が救われる音楽だなあと、心底、思いました。
・gr8est journey 最初はストライクゾーンから少しずれてるなと思ってそこまで好き!とはならなかったのけれど、ツアーが回数を重ねる度にどんどん心に響くというか撃ち抜かれるようで、どんどん好きになって、あ~ツアー曲ってこうだよな~~~~曲だけじゃなくてツアーも含めて完成
Synchronismも最初は普通だったけど、思い入れが、思い入れがなあ。それがツアー曲というか
シンクロツアーを思い出すと胸がぎゅっとする。もう2016年の春夏は終わってしまったけれど、思い出がすごく鮮やかで、心の中にガラスの宝箱があって開けるとぱあっと華やかな景色が広がるみたいな、Synchronismがその鍵。
・春夏のツアーって、季節のせいもあってか鮮やかというか、鮮明というか、会場の空気や音の全ての息遣いが特に印象的で、むせかえるように濃くて、楽しかったなあというか、ほんとにきらきらした濃密な思い出。
・
本当にこれ私が勝手に思ってるだけなんですけど、昔のユースケくんってなんだかコンプレックスに負けてしまいそうな子だなって思ってて、や~ユースケくんはユースケくんですごいんだからもっと他人じゃなくて自分を見てほしいなってずっと思ってたのが、最近解消されてきた気がするとおもってたらsnowの動画でなりたい人にユーキくんを指さしててドキッとしましたよねユースケくんって本当にいい子な分、他人の目に映る自分が絶対的な自己評価になりすぎてないか?ってずっと思ってて、
ユースケくんの欲しいものは全部ユーキくんが持ってて、ユースケくんはそれを知ってるから憧れて、でもユーキくんは自分の持たざるものにそこまで固執しないというか、それよりもユーキくんが何より大事なものはユーキくんが持っててユースケくんの手に入らないものだから、みたいな昔のユーユーの関係パターンないですか?勿論ユースケくんが持っててユーキくんが持ってないものって、普通に考えたらものすごく欲しいもののはずなんだけど、ユーキくんはそんなに興味がないというか、心の奥底では同じく切望してるけど、それを持っていないことを嘆くより、持っているものの方に興味があるというか
ユースケくんが固執するものは全部ユーキくんが持ってて、ユーキくんが大事にしているものも全部ユーキくんが持ってて、ユースケくんは手に入らなくて、みたいな。それ故にユーキくんが傲慢に見えるときがすき
・週一ペースで望遠鏡ダンス思い出して泣いてる
・ビリオンビーツのサビのユーキくんとユースケくんの踊り方が対照的というか、ユースケくんは体が跳ねるようにダイナミックというか、ちょっと違うんだけど体の躍動のような感じで踊るんだけど、ユーキくんはまさに心臓の鼓動というか、体の奥深くで眠っている細胞を揺らすように踊っていて、ユーキくんとユースケくんは陽と陽の対照なのではと思った
・ユーキくんの三浦大知くんに対するあこがれがふっと頭よぎって、ユーキくんはこれからどんなふうになるのかなって涙が止まらなかった瞬間。なんでユーキくんのこと好きなのかなって、上手く言えないけど好きだなあって思うんです。私、元々文章を書くことが好きで、小説を書いたりしてるんですが、誰かに対してこの人を文章で表現したい、って思わせてくれるのってユーキくんが一番なんです。一生私の言葉がユーキくんに追いつけることはないですが、それは分かってるんですが、それでもユーキくんについての表現者でいたいなあと思うんです。だからTwitterにも好き勝手書きまくってますし。私とユーキくんを一緒にするのはおこがましいですが、私も表現者になりたくてたまらない人間なので、ユーキくんの自分を全身で表現したいっていうストーリーにもものすごく惹かれます。
HAPPY BIRTHDAY DEAR 超特急 ユーキ
今日、2019/1/2で、超特急の5号車ユーキくんが24歳を迎えました。ユーキくん、お誕生日おめでとうございます。毎年この日を祝えていることを、とても喜ばしく思います。
23歳のユーキくんを、正直な話、私はしっかりとは知りません。自分自身環境が変わり、新生活に忙しくて、ユーキくんのことは二の次でした。ライブもほとんど行けていないので、なんとなく思ったことを書きます。
どんどん進化して、どんどん強くなっていくユーキくん。大阪城ホールでのGOLDEN EPOCH最終日を観に行った際、本当に驚きました。ステージ上で感動の涙を流していた、未成年のユーキくんはいなくなったんだなあと、ふと感じました。わたしがみたのは、ファンに感謝を述べて笑顔で手を振る、プロの、超特急のユーキでした。
ユーキくんはどんどん完成され、洗練され、研ぎ澄まされていく。
私はユーキくんが大好きです。ずっとその背中を追いかけたいし、ユーキくんの成功する姿を、トップアーティストとして輝く姿を見ていたいと願っています。
昔、超特急はいっぱいいっぱいだなあと思っていました。東京ドームなんて夢のまた夢だし、数年後に芸能界で生き残っている保証もない。アイドルは刹那を生きているから美しいのだと私は思います。男女問わず、少女性・少年性を皆秘めていて、アイドルは特別ないきものです。でも永遠に特別ではいられない。その瞬間が美しい。
超特急は非アイドルだとか面倒くさいことは言わないでください。超特急が非アイドルだとしても、ユーキくんは私の中の最高のアイドルなんです。神様なんです。
話を戻します。
その刹那の中で、東京ドームなんて絶対に叶えられないと思っていた。
でもだんだんと、代々木体育館でのライブを成功させた2016年のクリスマス公演から(2015年の代々木は成功とは言い難いと感じているので)、超特急の東京ドーム公演はかなりの現実味を帯びてきました。
それどころか、夢のその先まで現実味を帯びてきたと、私は感じています。
多くのアイドルにとって掲げる目標は叶わないまま終わります。それでも、その目標に向かってがむしゃらに頑張り、歌い、踊る姿に魅せられる。
でも夢が叶ったら?
夢が叶った瞬間に解散なんていうアイドルはいないです。夢を叶え、その先のキャリアも確実に成功させてこそ、トップアイドルになれる。
私は超特急が、夢を叶え、その先に進み、トップアーティストになると信じています。
その日まで、超特急の、ユーキくんの背中を追い続けたいなあと願っています。
乱雑に書き連ねましたが、改めまして、ユーキくん、24歳のお誕生日おめでとうございます。
ユーキくんにとって、コーイチくんの超特急脱退から幕開けた23歳は、波乱の1年だったと思います。
コーイチくんの脱退が発表された時は、あまりに意味がわからなくて、乱暴な言葉も沢山使いましたし、スターダストという事務所は勿論、ユーキくんや超特急その他メンバーにさえ不信感を抱きました。
ファンであることを辞めてもいいかくらいに思いました。
でも、一年間、それほど熱心ではありませんでしたが、超特急をみて、そんな気持ちは吹っ飛びました。
辛いことも沢山あったであろうし、私にはそれを推量ることはできません。それでも、ステージに立って、踊ってくれて、笑ってくれて、本当にありがとうございます。
好きになってよかった。
24歳がユーキくんにとって更なる飛躍となり、幸せに充ちた1年になりますように、心の底から応援しています。大好きです。
HAPPY BIRTHDAY DEAR 超特急 ユーキ
今日、2018/01/02で、超特急5号車のユーキくんが23歳を迎えました。ユーキくん、お誕生日おめでとうございます。本当におめでとうございます
22歳のユーキくんの、ものすごく印象に残っているステージがあって、「Trans NIPPON Express」の神奈川公演。STYLEの演出で、スクリーンには同時進行で白黒の映像が映し出され、メンバーはスタンドマイクを使ったパフォーマンスをしていました。
その、ちょうどサビに入る直前に、後ろのスクリーンに白黒のユーキくんが映し出され、現実のステージに立っているユーキくんはセンターですっとどこか静まった目で正面を見据えていて、一瞬世界が止まりました。ユーキくんに呑まれたような、ユーキ・オン・ステージで、世界がユーキくんだけで止まったようでした。
マイクを前に立つユーキくんの姿に、ふっと頭をよぎったのは、ユーキくんが憧れの人だと言っていた三浦大知さんのことでした。
ボーカリストとしでもダンサーとしても確実にキャリアを積んでいる三浦大知さんへの憧れの意味は、ダンスだけではなく、歌も、さらには、一人のアーティストとして活躍できる力なのだろうかと考えていました。
歌、というのはユーキくんには馴染みの薄い分野だと思いますし、ユーキくんに歌って欲しいわけじゃない。でも、なんとなく、ステージに立つあの瞬間のユーキくんを見て、これからの未来を予期するような、ユーキくんはこれから何にでもなることができる、いくらでも輝いていくんだなあと感じました。感傷的がすぎますが。
拙い言葉ですが、ユーキくんの23歳の一年がさらに輝かしいものになっていくよう、心から願います。お誕生日おめでとうございます。大好きです。
蛇にピアス
蛇にピアスを読んだ時、私が最初に思い出したのは、旧約聖書の失楽園の話だ。人間の始祖であるアダムとイブ。二人はエデンの園と呼ばれる楽園に住み、そこには神が唯一定めた、絶対に食べてはならない禁忌の知恵の実あった。しかし、蛇がイブを誘惑し、ついに二人は知恵の実を食べてしまい、楽園から追放されてしまう。誰もが知る旧約聖書のこの話を、蛇にピアスを置き換えることは出来ないだろうか。私なりの解釈を書きたいと思う。
まずは、言わずもがなイブはルイである。そして、アダムはアマ。ではシバさんは? と考えた時、私は蛇としたいと思う。
何故、蛇なのか。この物語の大きなテーマ、「身体改造」であるスプリットタンは、ほとんどがシバさんの手によって行われている。そしてその行為はシバさん自身が「神だけに与えられた特権」だと評しているからだ。こう書くと、まるでシバさんが神だと評しているようだが、それは決定的に違う。神は自らの権利を「特権」などと思わない。シバさんは、あくまで、特権を一時的に濫用してみせる、神に憧れる蛇なのだ。旧約聖書の中で、蛇は神への反抗心を持つ生き物として描かれているというのが私の解釈だ。神だけに与えられた権利を、自分のものにしたがる、蛇こそが私の中でシバさんである。
では、この三者の関係を考えてみよう。蛇はルイに何を唆していたのか。蛇の誘惑は、神への反抗。つまり、アダムとイブが知恵の実を食べる前には知らなかった、性へ羞恥。ルイとシバさんの不義の性交渉である。無知なアダムであるアマは、蛇のシバさんとイブのルイの密通に気づかない。最終的にはイブの言葉に乗って知恵の実を食べてしまい、楽園から追放されてしまう、どちらにせよどこか哀れな存在なのだ。
ところが、ここで旧約聖書と蛇にピアスでは決定的に違うところが出てくる。アダム、つまりアマの死である。
アマの死から、ルイは自暴自棄のようになり、作中の言葉を借りると、シバさんに囲ってもらう。心が追いつかない状態のまま、シバさんと時間を重ねるうち、アマの死についての情報から、ルイはシバさんがアマを殺したのではないかという結論に達する。作中ではそれ以上の言及はされていないが、私の考えもルイと同じである。アダムを殺したのは蛇だった。
どうして蛇はアダムを殺したのか? ここに、私はこの物語の本質を見たいと思う。この物語はあくまで「身体改造」を取り巻く男女の物語だ。皆、身体改造を繋がりとして出会い、自己の体にしろ、他者の体にしろ、アマ、ルイ、シバさんは全員、本来の人間の体に手を加えようとする。それは、いわば神への抗いである。この物語は神に抗おうとする物語であり、蛇がアダムを殺したのも、その反抗の一つだと考える。神は男女を創造し、生命を与えた。蛇、シバさんがアマにした行為は、旧約聖書を聖典とする宗教において禁じられている、同性愛、殺人という行為。わかりやすい反抗である。神の特権を手に入れ、成り代わろうとした蛇の結果だ。
しかし、ここで更に私の意見を述べよう。この物語では全員が神に抗い続けていた。しかし、最も俯瞰的にすべてを見ていて、最も神に成り代わろうとすることが出来たのはルイではないのだろうか。シバさんはただ神に抗い続けただけであり、アマは殺された。だが、ルイは、抗い続けただけでなく、俯瞰的な神の目で、アマの死の核心に近づくことが出来たのだ。ルイは自分なりに全てに感づいたが、何も言わない。ただ俯瞰するのみである。その姿にこそ、私は最も神に近いものを見出す。
「男は世界を支配する、女は男を支配する」という言葉を耳にしたことがある。結論、蛇にピアスという世界観を支配していたのは、神に抗い続けた蛇と無知な男はなく、一見流され傍観しているように見えて、最も冷静に周りを見ていた、はじめからストーリーテラーという形を与えられていた女であったのだ。
はしりがき 好きな人がいること
なにか文章を書きたいなあと思って、走り書きのようなものを載せます。推敲はしない予定なのでお見苦しいかと思いますが、読んでくださる方がいたらご了承下さい。
ブログのタイトルは、以前流行っていたドラマから拝借させていただきました。
当時このドラマを一瞬だけ見たとき、印象に残ったセリフが、「好きな人がいるって、こんなに楽しいんだね」でした。ニュアンスなので違うかも知れませんが、大体このような感じだったかと。わかるー!とテレビの前で叫んだのを覚えています。
私は、人が人を好きになるということと、この世界には自分以外に様々な人がいて、その人たちと相互ないしは一方通行に関係を持てるということが、愛おしくてたまりません。人間が大好きです。
月並みな上恥ずかしくなるようなセリフですが、愛って本当に美しいと思います。愛、超特急の楽曲にサビ前 愛というフレーズを繰り返す曲もありますよね。いつもなぜか言い知れない感動を覚えます。
好きって、本当に美しい感情ではないでしょうか?自分の心の中に、誰か別の人がいて、その人を愛おしいと感じるんです。美しい。愛というものの定義はよくわかりません。好きという感情を説明しろと言われ、言葉で表現することはできませんが、人間はそれを生まれた時から知っていますよね。その神秘性そのものが美しいし、人間が持っている最も幸福な感情を、人間が説明出来ないことが本当にセンシティブというか、デリケートに思われます。ニュアンスが伝われば幸いです。
わたしには今現在好きで、応援している方がいて、超特急のユーキさんと言います。イメージカラーは赤の、優しくて繊細で真っ直ぐな、新進気鋭のダンス&ボーカルユニットのメインダンサーです。
ユーキさんが好きです。でも、この好きって、とても複雑な感情なんですよね。好きというのはたった二文字の言葉なのに、その二文字の中に言いきれない無数の思いが詰まってるんですよ。でもその無数の感情を、星の数ほどあるような思いって、すべて好きに直結するんですよ。とても不思議ですし、とても美しいです。自分の中にある感情を美しいと表現することは無粋ではないかとも思いますが、美しいと思います。すき、すきです。
「好き」って、本当に色んな感情ではないでしょうか。最もわかりやすい例で言うと、「貶し愛」なんて言葉もありますよね。正直私にはあまり馴染みがない思いで、好きな人を貶すことが愛情、って不思議です。でも、それは愛の一種で、好きなんですよね。本当に本当に、不思議なんです。そんな愛があるって、やっぱり面白すぎやしませんか?愛って本当に本当に美しい。愛って本当に色々なんですよね。
私の話をしますが、私は実生活では思ったことをすぐ口に出すタイプで、友人でもアイドルでも好きだ!と思った人にはすぐに好きだ好きだと繰り返すタイプなんです。
そんな性格だからでしょうか、私は本気で好きだと言っているのに、「あなたの好きは軽いから信用出来ない」と言っていつもあしらわれます。
私としては、違うの!私はあなたのことが本当に好きなの!私があなたを好きなのにはそれに相応しい理由があるの!好きにならずにはいられないくらいあなたは素敵なの!あなたは特別な人なの!あなたに私があなたをどんなに好きかわかってほしいの!あなたが大好きなの!という感情なんですが、あまり伝わりません。不思議だなあと思いますが、それはきっと向こうも思っていることかなと思い、愛はやっぱり人それぞれで違うなと、また美しく感じます。
「美しい」って主に視覚や聴覚に対して言葉だと思うのですが、「美しい」を「感じる」ことってありませんか?目や耳からだけじゃなくて、全身で、体の細胞すべてから、誰かを美しいと思う。そうして心に伝わってくる。美しいという感情もすきです。
愛、という言葉を一概に定義することは出来ませんし、人それぞれだからこそ強制してはいけない、だからこそもっと愛を知りたいと思います。ユーキさんが好きだし、ユーキさんを好きな人がたくさんいるのも、ファンの方々がユーキさんに抱くたくさんの感情に触れるのが本当に大好きです。
乱文失礼しました。
HAPPY BIRTHDAY DEAR 超特急 5号車 ユーキ
今日、2017/1/2で、超特急5号車のユーキくんが22歳を迎えました。
ユーキくん、お誕生日おめでとう。
今日まで、超特急として華々しく活躍してくれていることにまず感謝を伝えます。
ありがとうございます。
私は超特急のユーキくんが好きです。
一つ覚えで、「好き」を繰り返すことしか出来ないのが、とても口惜しい。少しでもユーキくんの素敵なところを人に伝えて、ユーキくんの存在を知って笑顔になれる人が増えてほしいなあと思うのに。
そして、ユーキくん本人に好きを伝えることって本当に難しいですよね。伝える機会が少なくなっていくということは、超特急のステップアップとイコールだと思うのですが、少し寂しくも感じます。
このブログは、私の好きの消化先です。
好きの思いをどこかで吐き出したい、とにかく好きなんだと叫びたい思いで書きました。
お付き合い頂けたら幸いです。
ユーキくんの魅力とは?
私がユーキくんを好きになった理由、一つ目は容姿です。
とにかく顔が綺麗。顔だけでなく、身体も、そのバランスも、ユーキくんというものの見た目の全てがとてもきれい。
色が白くて、大きな目に、薄い唇。女の子のような可愛らしい顔立ちだけど、眉が案外太かったり、形が良くて少し大きめな鼻や、広い肩幅が、どうしても男性で。
そのコントラストが、とてもきれいだなあと思います。雪の妖精が炎に身を焦がして燃えているみたい。どんなに熱く明るく輝いていても、どこか涼やかで爽やかな、無垢さえ思わせる。月が爛々とするような鋭さも持ち合わせていて、すごくきれい。
そしてその美しさのまま、春のひだまりのようにぽかぽかと、ふんわりと笑うのが、彼は人格を含めて、全てがうつくしいなあと思います。
こうやってユーキくんの容姿を褒めますが、当の本人は、自分の容姿に対する関心が高くない、俺の本領発揮は別だと思っているところが滲み出ていて、そこがすごく好きです。
だからこそ、余計滲み出る出る美しさもあると思うんですよね。気高い。
彼はとても恵まれ、神に愛されている人だと思います。恵まれているだなんて、なんとも高慢な台詞だと思いますが、神様だって好きにならずにはいられないくらい、素敵な人だと思うのです。
ユーキくんがどれほど素晴らしい人か説明する時、私はよく、「神に愛されている」という形容詞を使います。
神様は、彼に容姿も才能も与えました。これだけ言うとそこまでですが、神様がユーキくんに与えようと思った理由であるユーキくんの魅力とは、ユーキくんのストイックさじゃないでしょうか。大勢の人に見てもらって、成長する彼を見たいからだったと思うのです。
容姿も好きだし、容姿と併合して見えてくる彼の精神というか、外見は人の一番最初の中身って、本当にその通りだと思います。芯から表面まで、全てがぴかぴかと輝いている人です。
ユーキくんを好きになった理由の二つ目はダンスです。
ライブ映像で、踊っているユーキくんを見た時、目が吸い込まれるように引き寄せられたんです。
今までは、私にとって集団の中の1人にしか過ぎなかった彼が、一瞬で彼にしか焦点が当たらなくなった。それくらい衝撃でした。
少し笑みを浮かべながら、体が壊れるんじゃないかというくらい、それでも楽しそうに確実に踊る彼を、羨ましいと思いました。
この人は今、何よりも好きなことをしていて、大勢の目の前で臆せず、誰よりも、プライドを持って踊っている。その輝きに憧れました。
よく、舞台に立つと豹変するなんて言いますが、本当にその通りでした。
ユーキくんは、超特急の中でも、一番ダンスが好きな人だと思います。間違いなく。
でも、彼は、好きなだけじゃなくて、プロとしてお金を払うに価する仕事としてもダンスと向き合っている。
これは、どんなアーティストにも、当たり前に求められるべき事だと思っています。
それを軽やかにこなす、ユーキくんのそんなところがとても好きです。
いつでも、常に全力で、踊ってる時は、月並みな言葉ですが、自分だけの世界に入っている。
でもそこで落ち着いて満足するのではなくて、その世界観を観客にみせて、これが俺だと発信している。自分の世界に浸るだけじゃない、自己完結で終わらない。
それに、ダンスに対して本当に真剣に向き合っていると思うんです。
ユーキくんは決して今を自分の最高点にしません。いや、いつだって全力で今の自分のベストを尽くしているけれど、自分にはもっと出来ると信じて前を向くそのパワーが好きです。
超特急の一年間の集大成とも言うべき毎年のクリスマスライブで、ユーキくんはいつも既に次を見据えた発言をしていると感じます。
理屈ではなくて本能で、クリスマスライブがゴールではなく、次に繋げる一つのポイントなのだとわかっているんだと思います。一年間頑張った、今日が最後のライブ、最高だったからとそこで立ち止まらない、向上心の塊のような人。でも決して過去を振り返らない訳ではない。
ユーキくんの、ダンスに対して、貪欲で、真摯で、誠実で、ひたむきなところが好きです。
才能と好きなものって、一致して当たり前のように見えて、そんなに一致するものではないと思います。
才能があってもそれを活かせない、見つけることが出来ない人なんて、世間に溢れている。見つけたとしても、活かし方がわからない人や、諦めてしまう人もいる。
その中で、彼は、今ダンサーでいる。
それは、神様が彼に魅入られたということなのではと思っています。
私がユーキくんを好きになった理由の三つ目は、メンバーカラーとの関係性です。
アイドルや戦隊物において、"赤"という色はセンター、リーダー、主人公など、中核を占める色です。当時私が好きだった漫画でも、赤がイメージのキャラクターは、ボスと言うべき存在でした。
だから、超特急においての赤はどんな人なのか、とても気になっていました。
実を言うと、私が最初にユーキくんを見たのは画像やバラエティで、踊ってる彼を見るのは随分あとになってからでした。そのせいでしょうか。彼を最初に見た時、私の思っていた赤の印象、見る人を圧倒する完全なカリスマというよりは、グループ内では少し大人しくて、いじられキャラなのかなと感じたからです。
赤って、強いイメージのある色だけれど、その時の彼のイメージと赤は結びつきませんでした。
なぜこの人のメンバーカラーは赤なのだろう。
でも、ユーキくんは確かに赤がよく似合うし、初期はリーダーだったから、それが理由だろう、そう思っていました。
それでも、ずっと心に引っかかっていました。
でも、彼のパフォーマンスを生で見て、更に彼自身が自分のメンバーカラーを決めたと聞いて、考えが変わりました。
赤と言う色の、圧倒的な存在感と輝き。強い色。
ユーキくんは、超特急の中で、ダンスにおいて、自分の右に出る者はいないと確信している。
見てわかるような、俺がナンバーワンだと言わんばかりのオーラとパフォーマンスが、彼を絶対的なセンターに位置づけている。その象徴が、イメージカラーの赤に繋がっていると思いました。
私は超特急において、絶対センターと言うべき存在がいるとしたら、ユーキくんだと思います。
決して彼が一番人気だとは思っていないですが、ユーキくんよりセンターというポジションが似合う人はいない。それは、私がユーキくんのことを推しているからというのも勿論だけど、その欲目を引いてもユーキくんだと強く思います。
ポテンシャルは勿論のこと、さらに努力を続ける人だから、誰よりも完成度が高いものをみせてくれる。プライドと技術、両方を併せ持つ。だからこそのセンターだと思うんです。
技術が確かな分、メイキングというか、そこに至るまでの努力のプロセスを、彼はあまり語りませんよね。
それは、彼の非アイドルとしてのセールスポイントが、努力ではなく結果だと自負しているからだと思うのです。
昔書いたことがあると思うのですが、ユーキくんはアスリートと同じ感覚です。結果を出す。それが何よりも優先される。ユーキくんにとっての結果は、パフォーマンスです。
だから私は彼にセンターでいてほしい。
ユーキくんは、自分が努力していると驕りません。
普段の彼を見ていると想像はつきますが、きっと、私の想像の何倍も、彼はダンスが好きで、何倍も努力しているのであろうし、それを裏付ける、確かな実力もあります。
そのたくさんの過程の中で、彼が見てほしいのは、実力なんだと思います。
その姿勢に、感化されたというのか、好きだと思いました。
確かなパフォーマーで、一人のダンサーとして、職業人として、超特急である、彼が好きです。
誰よりも輝く人でいてほしい。
誰かを応援するって、こんな感情だと思います。
そして、超特急のユーキにおいて、そのファンの雑多な思いを背負っている象徴が、ユーキくんのさのセンター性を示す、「赤」という色なのではと思います。
ユーキくんが赤を選んだだけじゃなくて、赤もユーキくんを選んだ。
長々と書きましたが、私がユーキくんを好きになった理由です。
少し話が変わりますがずっと悩んでいたことがあります。
私は超特急を好きになる前に、女性アイドルやジャニーズ、K-POP、ロックバンドなど様々なものに興味がありました。その代わり、一つだけ除いて、全て興味の域を脱しませんでした。
その一つが、アニメのキャラクターでした。
でも、その頃を思い出すと痛い気持ちになります。理由は後述しますが、私は頭が固いので、アニメや二次元の世界以外のものを全く受け入れませんでした。アイドルやアーティスト等の実際の人間を好きになることを否定すらしていました。
自分の好きなもののみが正しいと信じきっていた、高慢で生意気な人間です。
なぜ二次元の世界しか受け入れなかったのか。
失礼な話ですが、私は、アイドルや、そんな類の、成長していくものが怖いのです。
端的に言うと、生きている人を好きになることが、怖くてたまりません。
どんなに美しい人でも、どんなに綺麗に踊る人でも、いつか必ず衰える日が来る。
それが怖い。いつの日か、私の好きになったその時の彼ら彼女らでは無くなっていく、私の好きだったものは消えて、代わりに劣化したものが私の元に残される。
その時きっと、私は好きだったはずのものに、一切の興味を無くします。
どうしても、劣化することが怖くて、好きになりませんでした。
二次元の世界の彼らには、決して衰えない魅力がありました。永遠に劣化しない。年も取らない。恒久の美であり、それこそが絶対だと思っていました。
ユーキくんも、正直に言うと、今でも怖いです。
考えてみると、まだたった22年しか生きていない。
今はまだ、成長を美しいと、ユーキくんはどんな人になるのだろうと、そう想像するのが楽しくて仕方ありません。
でも、数年後、数十年後、まだ私が興味を持っていられるか。それがこわくてたまりません。
こんなことを言うなんて情けないと思います。
失礼なことを言っているのは百も承知ですが、本当に怖いのです。ユーキくんがいつか衰えて、私にとって魅力的じゃなくなるのかもしれないことも、あれだけ好きだった人に、興味をなくしてしまうかもしれない自分も。
先のことなんてわかりません。
明日にでも、ユーキくんに対する一切の興味を失ってしまうかもしれない。
でも、しつこいですが、その感情を踏まえて、私はユーキくんが好きです。
今まで、現実世界のアーティストを、好きになれない自分がいました。いや、好きになろうとしなかったんです。いつか、興味を無くすことが怖いから。
怖くて、何十年も先も、衰えた姿も、ずっと好きでいたいと願えなかった。
でも、よく考えてみると可笑しいことなんですよね。
今応援したい好きな人がいるのに、何年も先好きでいられるかわからないから、好きになるのが怖いなんて馬鹿げていました。
そんな当たり前のことを、初めて気づかせてくれたのが、ユーキくんという存在でした。
二次元のキャラクターに、あんなにも依存した理由がもう一つあります。
少しおかしな価値観なのかも知れませんが、
彼らは、私のものにならない代わりに、誰のものにもならなかったからです。
私は、自分の好きなアーティストに対して、理想を押し付ける。あろうことか、理想と外れたら理想通りに動けと命令するような、高慢なファンです。
二次元の世界の彼らの、紙に描かれたストーリーの中で、私を幻滅させるような話は、ほとんど出てこない。
彼らの人生やパーソナルは、あくまで紙に描かれていたものだから、それだけが紛れもない真実で、私が彼らをいくら考察しようと、作者が作り出す彼において、それは妄想でしかない。
逆をいえば、描かれていない、キャラクターの一面は、何を思っても、正解がない。
二次元のキャラクターって、究極をいえば全てを知ることが出来るじゃないですか。過去も未来も、思考も、そのすべてが、紙に描かれるから。
描かれない部分は、人の目に触れない部分は、あくまで空白だと思うんです。
でも、実際に生きる人、ユーキくんにおいて、全てを知ることは絶対に出来ません。
村田祐基という人について、私はあまりにも知らない。そして、知れることも限られています。
私がどんなにユーキくんについて夢を描いてもしても、世界には、確かな正解が存在してしまうんです。何故かって、確かに、生きている人間だから。
私は、ユーキくんの生涯の全てを知ることは決してできないし、ユーキくんの人生において私が知ってるのは、大衆の目に触れるワンシーンの切り取りであって、アーティストとして、額縁にはめられたものに限られています。
もっと奥深く、ユーキくんという人そのものについて知ることは出来ません。
それが嫌でした。
私だけのものにしたかったし、誰のものにもならないで欲しかった。
ものすごく我儘ですね。ユーキくんをアイドルと形容すると様々な方向から批判が飛びそうですが、敢えてアイドルと言わせていただくと、私はアイドルをアイドルとして応援できないファンなんです。
でもそれでもユーキくんが好きです。
彼を一番好きなファンは私じゃない、でも、私の中で一番好きな人がユーキくんだったら、それでいい。ユーキくんが大好き。幸せになって欲しいと願います。
そう思える人と出会えてよかった。
ユーキくんが好きです。
自分ではない、親族でも友人でも恋人でもない、直接話した回数を、数えられるような人が、私の人生の、今この瞬間において、主役を飾っている。
これを読んでいる皆さんにも、そんな存在がいると思います。
それって、当たり前のように見えて、すごく不思議で運命的だと思うんです。
何年先でも、何十年先でも、死ぬまで、ユーキくんのことを好きでいたい。
本当に好きでいれるかはわからないけど、でも、今このように願えることが、ユーキくんを好きになれた意味に繋がるのではないかなと思っています。
それに、ユーキくんと出会えてから、大切な人が増えましたし、自分のそばにいてくれる人がもっと大切な存在になりました。
それは、代々木でのユーキくんのスピーチのような、超特急が絆になってくれた場合もあるし、そうでなくても、もっと今の環境を大切にしようと思うようになりました。
すごく不思議だけど、ユーキくんの、誰かに力を与えるアーティストのもつ、魔法なんだと思います。
自分の知らない何万人もの人々が、自分のことを知っていて、自分の画像や、動画が、世界中に出回り、常に見られ、興味を持たれ続ける生活は、私には想像できません。
私が今、こうして、ユーキくんへの想いを書いていても、感謝を伝えたくても、このブログが、ユーキくんにとっては勿論、読んで下さった方にとっても嫌悪の対象になるかもしれません。盲目的なので、不快な思いをさせてしまった方がいらしたら、本当に申し訳ありません。
ある友人が、「人への感情を文字に書き起こすのはすごく難しい」と言っていました。
その通りで、実際に書いてみると難しい。
好きって、格好いいも可愛いも美しいも、言葉に表せない色々な感情も全部混ざっていて、それを集約した結果、好きという言葉になるのだと思います。
私のユーキくんに対する色々な感情を、本当は全て説明したいし、皆さんに知ってもらって、ユーキくんてこんなに素敵な人なんだ!と知ってほしい。
でも、本当に難しくて、好きを羅列することしか出来ない。言葉足らずで、未熟なものに付き合っていただきありがとうございます。
何日も考えたのですが、ユーキくんを表す最適な言葉が見つからない。彼がどんな人か、私が思う彼を、私が知るどんな言葉を使っても、まだ説明できない。
多分、存在しないのだと思います。
言葉より、感情より、何より、そんなもどかしい説明を飛び越えて、ユーキくんという彼の存在自体が、何よりも最高で、何よりも証明している。言葉になんか表せない、表せるほどの人じゃない。ユーキくんという存在より、感情が溢れるものは、私にとってありません。
ユーキくんが好きだ、その気持ちだけで、全て未来が約束されるかのような、全て満たされる存在がこの世界にいて、そのような人に出会えてよかった。
最後ですが、改めて、お誕生日おめでとうございます。
22歳が、超特急としても、ユーキくんとしても、更なる飛躍の年になりますように、心から応援しています。